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国民が知らない中川昭一元財務・金融担当大臣

突然の訃報・中川昭一元財務・金融担当大臣

中川昭一

【中川昭一氏死去】遺族は弔問客に死因は「急性心筋梗塞」と説明(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091005/stt0910050029002-n1.htm

中川昭一元財務・金融相(56)が4日朝、東京都世田谷区の自宅ベッドで死亡しているのが見つかった。警視庁世田谷署によると、目立った外傷はなく、遺書は見つかっていない。ベッドには嘔吐(おうと)の形跡があった。同署は事件の可能性は低いとみて死因などを調べている。

 同署によると、同日朝、妻がベッド上でうつぶせになっている中川氏を発見、119番通報した。すでに死亡しており、病院には搬送されなかった。

 行政解剖したが死因は不明。死後10時間前後が経過していた。家族は「睡眠薬を服用していた」と説明しているといい、室内には病院処方の睡眠薬とみられる錠剤があった。

 弔問客によると、遺族側は死因を「急性心筋梗塞(こうそく)」と説明しているという。

 中川氏は東京生まれ。東大法学部から日本興業銀行を経て昭和58年、急死した父・中川一郎元農水相を継ぎ、30歳で衆院議員に初当選。平成10年に小渕内閣の農水相で初入閣。経済産業相、自民党政調会長を務めた。

 農政通で知られ、戦後レジーム(体制)からの脱却路線の継承をうたう「真・保守政策研究会」会長を歴任するなど、保守派の政治家として知られていた。

 14年の小泉純一郎首相(当時)初訪朝時には、超党派の「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」(拉致議連)会長などとして拉致被害者の救出活動に尽力した。

 昨年の麻生太郎首相(当時)の誕生では中心的役割を果たし、財務・金融相に就任。だが今年2月には、先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)の記者会見に朦朧(もうろう)状態で臨み、辞任に追い込まれ、8月の衆院選で初めて落選。個人事務所の移転と秘書の整理を決めたばかりだった。

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■中川氏を悼む人々

(記事はすべてMSN産経ニュースより)

【中川昭一氏死去】安倍氏「本当、本当に残念」
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091005/stt0910050002000-n1.htm

 中川昭一元財務相の突然の訃報に、政界には衝撃が走った。先の衆院選での自らの落選と自民党惨敗を受けて、再起と保守再生に向けた活動を期待されていただけに、東京・世田谷の自宅に駆け付けた自民党幹部ら弔問客からは「残念でならない」との声が続いた。

 中川氏の盟友だった麻生太郎前首相は4日夕、地元・福岡から急遽(きゆうきよ)帰京。羽田空港で記者団を前に「すごいショックだ。保守の理念を再生するのに最も期待されていた人物だ。自民党にとっても大きいダメージだ」と硬い表情で語った。

 麻生氏はリーマン・ショック後の経済対策での中川氏の功績を称えると、慌ただしく弔問に向かった。

 弔問を終えた安倍晋三元首相は「本当、本当に残念だ。昭一さんを失ったことは大きな損失だ」と辛そうに語った。

 10日前の電話が中川氏の最後の会話だったと話す安倍氏。「元気そうで『保守再生のために安倍ちゃん、がんばろう』と言っていたのだが…」。安倍氏は対面した遺体に「安らかにお眠りください」と語りかけるのがやっとだったという。

 自民党の谷垣禎一(さだかず)総裁は、「こんな知らせを聞くとは思っていなかった。日本の政治にも力を発揮していただかなくてはならない局面が必ずあったはずだ」と早過ぎる死を悼んだ。

 谷津義男元農水相は、10日ほど前に話したときに中川氏が「農政は民主党批判だけではダメ。現場の声を聞きながら勉強しなきゃ」と意気軒昂だったと故人を偲んだ。また、遺体の様子について「以前見た寝顔とまったく同じ表情だった」と安らかな表情だったことを説明した。

拉致問題などで行動をともにした平沼赳夫元経済産業相(無所属)は「衆院選後も将来を語り合った。捲(けん)土(ど)重来を期す、と大変張り切り、新しい、正しい保守の流れを作ろうと意気投合していたのに」と肩を落とした。

 一方、鳩山由紀夫首相は4日、「突然のことで大変驚いた。同じ北海道の国会議員として残念。ご遺族に深くお悔やみを申し上げる。心からのご冥福をお祈りする」とコメントした。

 中川氏の父親、一郎氏の秘書だった新党大地の鈴木宗男代表は、札幌市内で記者団に対し、「一段落したら激励会でもしようと思っていた矢先だった。こういう別れ方をするのなら、話すことがたくさんあった」と涙をみせた。

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【中川昭一氏死去】拉致被害者家族ら「強い力を失った」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/091004/crm0910042121027-n1.htm

拉致議連会長を務めるなど拉致問題に熱心に取り組んできた中川昭一氏。拉致被害者家族らの信頼がとりわけ厚かった。家族らからは「強い力を失った」と落胆の声が漏れた。

 横田めぐみさん=拉致当時(13)=の父、滋さん(76)は、9月中旬に中川氏から選挙落選について「力及ばず申し訳ない」とわびる手紙を受け取っていた。

 直筆で便箋(びんせん)1ページ半。「拉致問題は引き続きやっていきたい。またお目にかかれることを楽しみにしています」と書かれていた。「非常に活動に貢献してくれた。『励ます会』をしようと話していたのですが…」と滋さん。

 増元るみ子さん=拉致当時(24)=の弟で家族会事務局長の増元照明さん(53)は「涙を流す政治家に初めて会った。情の深い方だった」と話す。平成14年10月に拉致議連会長に就任したばかりの中川氏と会食した際、「『議連に何をしてほしいか』と熱心に聞いてくれた姿が印象的だった」と話す。

 中川氏の自宅に招かれた際には、父、一郎さんの位牌(いはい)の前で涙を流しながら拉致問題解決を誓った姿を目にしたという。

 田口八重子さん=拉致当時(22)=の兄で家族会会長の飯塚繁雄さん(71)は「議員として一番早く拉致問題に取り組んでいただいた。強い力を失ったという感じで、非常に悔やまれる」と悼んだ。

 家族会は4日、支援組織「救う会」と運動方針などを決める会議で全国から集まっていたため、冒頭で中川氏に黙とうをささげた。

 ジャーナリストの櫻井よしこさんは「中川氏の原点には『国民を守れずに国家が守れるか』という思いがあった。北朝鮮に妥協せずに圧力をかけたうえでの対話の重要性をきちんと認識していた数少ない政治家だった。拉致問題とのかかわりをひけらかす政治家もいるなかで、忙しくても拉致に関係する大きな会合には必ず出席してくださった」と振り返った。

 元衆院議員、米田建三帝京平成大学教授は、平成13年に金正日氏の長男、正男氏が成田空港で身柄拘束された時のことを思いだす。「中川氏が何人かの政治家を集め『政府の対応がおかしい。拉致解決に向けた交渉の道具にするべきだ』と対策を協議した。彼の拉致への取り組みは信念に基づいていた」と語った。

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【中川昭一氏死去】「おれより先に逝くなよ」遺影に支援者 地元・帯広で
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091005/stt0910051733011-n1.htm

中川昭一元財務相が東京の自宅で死亡しているのが発見されてから一夜明けた5日、北海道帯広市の中川氏の地元事務所前には献花台が設けられ、支援者らが弔問に訪れた。涙を流しながら手を合わせる人や「おれより先に逝くなよ、昭ちゃん」と遺影に語り掛ける男性も。16日には同市内のホテルで「しのぶ会」も行われる。

 中川氏の初出馬以来、応援してきたという同市の会社員、遠藤武一さん(63)は弔問後「中川さんが30、40代のころ、毎年一緒にサッカーをした思い出があり、残念で仕方がない」と振り返った。

 旅行で近くの温泉に来ていて、追悼のため事務所を訪れた道内出身で神奈川県横須賀市の主婦、安部勝江さん(66)は「家族で応援していたから、悲報を聞いてショックだった」と肩を落とした。

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仲良し麻生中川コンビ

【中川昭一氏死去】「大変ショック、自民再建の大事な人材だった」麻生前首相
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091004/stt0910041301004-n1.htm

中川昭一元財務相の死去を受けて、麻生太郎前首相は4日、「自民再建の大事な人材だった。言葉にならないショックだ」とのコメントを発表した。

 この中で麻生前首相は「非常に大きなショックを受けている。自民党の再建に向けて、次の世代を担う大事な人材だった。衆院選の結果を厳粛に受け止めて、再起を期すことを期待していた矢先だった。麻生政権では、財務・金融担当相として、世界の金融危機への対応に卓越した力を発揮して、内閣を支えていただいた。今は、言葉にならない位にショックを受けており、慎んでお悔やみ申し上げます」とした。

 また、自民党伊吹派会長の伊吹文明元財務相は4日、「中川先生は同期当選でもあり、年齢的にもこれからの政治家であっただけに、日本のためにも残念です。詳しいことが分からないので、これ以上のコメントは現時点では差し控えますが、ご家族にお悔やみ申し上げ、心からご冥福をお祈りいたします」とするコメントを発表した。

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■知られざる中川氏の功績

「日本が好きなだけなんだよ」さんより

・中川氏は、農林水産大臣としてポジティブリストを導入し、中国等から無差別に輸入される毒菜に一定の歯止めをかけた

・中川氏は、財務大臣として金融援助をIMFに一本化し、韓国やアイスランドなどから申し込まれた二国間融資は全て断った

(引用者注:IMFを介した援助は絶対に返してもらえる一方、二国間融資は踏み倒される危険がある)

・中川氏は、政調会長として、自民党内の人権擁護法案推進派の意見を断固として撥ね付けていた

・中川氏は、拉致問題に早くから取り組んできた政治家の一人であり、拉致議連の会長もつとめた。

・中川氏は、経済産業大臣の時、親中派の二階俊博が打ち出した「東アジアEPA(経済連携協定)」構想に異議を唱えた。

・中川氏は、毎年靖国神社に参拝することも欠かさない。

・中川氏は、非核三原則の堅持は当然”としながらも日本の核武装の是非について繰り返し“論議すべし”と言及した

(引用者注:これによって震え上がったライス氏が慌てて来日)

・中川氏は、日教組に対し「日教組の一部活動家は(教育基本法改正反対の)デモで騒音をまき散らしている」「(デモという)下品なやり方では生徒たちに先生と呼ばれる資格はない。免許剥奪だ」と、その活動を強く批判している。

・中川氏は、官憲(役人、特に警察関係)による慰安婦募集の強制性を認めた1993年の「河野談話について早期に見直しを検討・すべきだとの考えを示した。

・中川氏は、中国の脅威に対抗するために、インドやオーストラリアとの連携を促進するための議員連盟「価値観外交を推進する議員の会」の旗揚げに貢献した。

・中川の勉強熱心は有名で、官僚にとっては渡した原稿をそのまま読んでくれない、扱いにくい大臣だったとのこと。

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参考:本家「国民が知らない反日の実態」

中川昭一の真実

中川昭一辞任の裏側

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■中川昭一氏へ感謝の気持ちを伝えたい方へ


中川昭一氏へ供花を。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/event/1254633378/

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中川昭一さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

本当にありがとうございました。

貴方のご意志は必ず私たちが引き継いでゆくと約束いたします。


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