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国民が知らない与那国島の自衛隊誘致悲願の声



日本最西端、与那国島に迫る軍事大国・中国の脅威

与那国島の位置
↑与那国島は日本国の沖縄県が主権を有していますが、地理的には沖縄本島よりも台湾、そして中国に近い位置にあり、国防上、極めて重要な島です。

この与那国島への自衛隊誘致の話が麻生政権下でようやく持ち上がり、希望が見えてきたところでしたが、政権交代によって慎重論が息を吹き返してしまったようです。
この件について産経が詳しく書いてくれていたので、ここにまとめたいと思います。


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【与那国島が危ない】(上)中国野放しの「友愛の海」 自衛隊誘致、町の悲願(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091014/plc0910140856006-n1.htm

東京から1900キロ、日本最西端に位置する沖縄・与那国島ではいま、かたずをのんで鳩山政権の出方を注視している。昨年9月、町議会は自衛隊誘致を決め、今年6月には町長、町議会議長らが防衛相や陸上幕僚監部に誘致を陳情、防衛省も陸自部隊の配備を検討し始めた。だがその矢先に政権が交代、一転慎重論が支配的となった。自衛隊はもう来ないのか。東シナ海では近年、中国が領海侵犯や資源探査など海洋活動を活発化させ、存在感を着々と高める。国境の最前線、与那国島のいまを報告する。(千野境子)

■民主政権は不安

 日本最西端の地碑が立つ西崎(いりざき)から、晴れた日には台湾が蜃気楼(しんきろう)のように大きく見える。台湾まで111キロ、同じ沖縄の石垣島よりも至近だ。昨年12月に中国海洋調査船2隻が付近を領海侵犯した尖閣諸島も150キロの近さにある。

 去る8月2日の町長選で再選された外間(ほかま)守吉町長(60)は、町の中心、祖納(そない)の町役場で困惑の表情も見せながら言った。

 「町の誘致の方針に変わりはありません。でも民主党になり不安はあります。お隣さんを刺激するようなこと(配備)はしないと(北沢俊美防衛相は)申されたようですが、お隣さんの方が軍事大国です。先方(の軍備)は認めてこっちはいけないというのはおかしい。隣のことばかり気にする外交の脆弱(ぜいじゃく)さです

■有事にどうする

 自衛隊の誘致構想は尾辻吉兼前町長時代からあったという。町議で与那国防衛協会副会長の糸数健一氏(56)はこう語る。

 「国境の島、しかも上空3分の2が台湾の防空識別圏です。有事に一体どうするのか。自衛隊の駐屯もない。台湾の選挙で中国がミサイルで威嚇し、漁場に行けなくなったこともあります。前町長はこれらを懸念し、実は一番やりたかったことが誘致でした」

 ところが平成17年7月、尾辻氏は55歳で急逝。元議長で福山海運代表だった外間氏が町長になり、糸数氏は誘致の遺志を継いだ。

 当初は手探り状態で南西諸島における中国船の活動や領海・領空侵犯などを勉強するうちに、「これは大変なことになっている」と危機感を深めていったという。東崎(あがりざき)で牧場を営む糸数氏はかつて沖合に中国船を何度か見た。夕方には目と鼻の先まで近づいた

 「いま思えば調査船でしょう。記録に残しておけばよかった。残念なことをしました。でも当時はそこまで気づきませんでした」

■「縦深拡大」路線

 中国の海軍戦略は、台湾から沖縄・南西諸島も含む第1列島線とグアム、パプアニューギニアなど第2列島線という「近海防御戦略」を採用、(1)国家の海上の安全の防衛(2)領海における主権の保全(3)海洋権益の保全のため、「中国の海」を徐々に広げていく?というものだ。中国自身はこれを「縦深拡大」と呼ぶ。

 とくに2000年ごろから海軍力の整備、近代化が進み、潜水艦や駆逐艦など新型艦艇を続々と配備、訓練や活動も活発化した

 また昨年末に尖閣に領海侵入した海上艦が国務院国土資源部所属だったように、いまや活動は海軍だけではない。鳩山由紀夫首相が呼びかける「友愛の海」と東シナ海の実態は大きくかけ離れている。

 「東シナ海をめぐり中国の大きなうねりを感じます。ふと気がつけば国益を損なっている可能性はあるかもしれません」と防衛関係者は声を落とした。


■「国境の守り、どうしますか」

 島を車で走ると、道端では「誘致は悲願」の横断幕が風に揺れていた。

 もちろん「誘致反対」もある。しかし反基地・反自衛隊の感情が強い沖縄にあって、誘致を「悲願」とした与那国町に沖縄県内外は驚き、8月の町長選はかつてない関心を集めた。

 結果は外間(ほかま)守吉町長が島では前例のない103票という大差をつけて、元町役場職員の対立候補、田里千代基氏(51)を退けた。

 誘致があらためて町民の支持を得たとも言えるわけだが、外間町長は言う。

 「自分で言うのもおかしいですが、過去の実績と今後への期待で選ばれたと考えています。自衛隊誘致を争点にしたのは沖縄のマスコミ。そうすれば私が負けると思ったのでしょう

(後略)

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【与那国島が危ない】(中)「やられてから、という姿勢」(同上)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091015/plc0910150726005-n1.htm

(前略:誘致反対派は台湾との交流を重要視しているが、賛成派は、台湾の姉妹都市との規模の違いによる島の負担を挙げている。また、与那国町の漁業も存亡の危機に立たされている)

さらに漁獲量が減っている上に、禁漁区に出没する主として台湾からの遊漁や密漁も大きな問題だ。しかもこれら違法行為に町はなすすべがない

 町には海上保安庁も常駐していない。違法行為を発見すると通報で石垣島から巡視艇が駆けつける。時間にして1時間。外国船が排他的経済水域の外に出ていくのに十分な時間だ。つまり歯止めは何もないも同然なのである。

 対照的に台湾警備艇の取り締まりは厳しく、危ない目に遭っている漁師も少なくないらしいが、多くを語らない。上地氏は言う。

 「国境は本当に手薄です。海保は弱腰ですね。何かあっても与那国がやられてから考えようという姿勢ではないか私たちにはそうとさえ思えるのです

 港の船の何隻かには「日の丸」が描かれていた。あまりにもささやかな自衛である。(千野境子)

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【与那国島が危ない】(下)「ここは日本。屈辱的」(同上)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091016/plc0910160740004-n1.htm

自衛隊も海上保安庁もない沖縄県与那国町。気象観測所も昨年10月で無人化された。国家公務員は、いまや税関業務の1人だけになった。ガランとした観測所や宿舎が亜熱帯の強い日差しにさらされている。

 ◆警察官2人に拳銃2丁

 日夜、島の安全を守るのは、2人の警察官と彼らの携行する拳銃2丁である。その1人、久部良(くぶら)駐在所の山内聡代巡査部長(38)は沖縄本島の機動隊勤務から転勤し2年になる。

 朝夕は登下校の小中学校を、飛行機の離着陸時は空港を、そしてフェリーの出入港の時刻には港を巡回する。「制服姿がそこにあることが(犯罪の)抑止になる」と考えるからだ。

 赴任してからこれまでの犯罪は盗難が4、5件、交通事故は脱輪に横転、町長選での傷害事件などで殺人はない。ほかは台風による停電、冠水くらいだ。「できるだけ使いたくない」という拳銃の出番は幸いまだない。

 その意味で島の治安は悪くない。だが国境の島としての安心安全となると、すでに書いてきたように事情は異なってくる。

 与那国町が去る6月に防衛省に出した自衛隊配置に関する要望は、「100人規模の駐屯地」だ。

 沖縄には現在、西部方面隊第1混成団が置かれていて、南西諸島の部隊配置は190ある有人島のうち5島(奄美大島、沖永良部島、沖縄島、久米島、宮古島)のみ。陸自部隊に限ると沖縄島だけだ。つまり中国の近海防御戦略の第1列島線に入る与那国島など八重山・宮古の先島諸島は防衛力の空白地帯同然となっている

 5年前に決定された中期防衛力整備計画(中期防)は第1混成団を旅団に格上げし、防衛省もこれを機に与那国島に沿岸監視隊として数十人程度の部隊を出す意向とされた。しかし政権交代で、防衛大綱も中期防も見直しは来年末へ先送りされた。

◆上空は台湾防空識別圏

 さらに自衛隊誘致派も反対派もそろって問題にするのが、島の西側上空3分の2が台湾の防空識別圏であることだ。防空識別圏とは進入する航空機の国籍識別や位置確認、飛行指示を行う空域で、領土の外側400?500キロ圏となっている。日本の領空なのに台湾識別圏なのは沖縄占領時の米軍が設定したままだからだ。

 危険でもあり、人々はことあるごとに問題を訴えてきたが、いまだに「知らなかった」と答える政治家もいて不信感を募らせる。

 「与那国は捨て石みたいに考えられているのではないか。この島は日本の島です。屈辱的です」と与那国町議会の糸数健一議員(56)が言えば、誘致反対派の小嶺博泉議員(38)も「防空識別圏問題も処理せずに自衛隊配備などできますか、できないでしょう」と、7月に視察で訪れた当時の浜田靖一防衛相に迫った。

 遠隔操作に任された気象観測所にも再開の希望は強い。中期防は大型化する台風など「大規模・特殊災害への対応」を新たな防衛力の役割として取り上げている。広義の安全保障の見地から気象観測の重要性は増しているのである。

 とりわけ先島諸島は台風の通り道、台風銀座だ。また与那国島は日本の気象が変わる重要地点でもある。

 歴史学者で与那国町の歴史編纂(へんさん)委員を務め、与那国の事情に詳しい琉球大学の高良倉吉教授は島の今後にこのような提言をする。

 「与那国島を地域の総合的な危機管理の拠点にしていくのはどうか。石油タンカーによる汚染、流木やゴミ被害など問題は与那国島に限らず地域全体の問題となっている。台風や津波など自然災害への対処には気象観測の強化も必要だ。国境の島は元気な方がいい。与那国自身も、国境の島ゆえに広い意味での地域の安全保障を担いたいとアピールするのです

自衛隊の部隊配置だけを突出させない効用もあるかもしれない。

 ◆せめて情報活動隊員を

 陸自配備の可能性が不透明になったいま、糸数議員は「ミサイルを置いてほしいとは言わない。せめて1人でも優秀な情報活動のできる人間が要る。そうしないと国境が危ない。いや、島自体もう、つぶさに調べられているかもしれません」と警告する。

 そういえば、隣の宮古島での出来事。何組もの若い男性2人連れが盛んに写真を撮っていた。食堂で彼らと居合わせて何者かが分かった。会話が中国語だったのだ。髪形や体格から「間違いなく人民解放軍」とはこのエピソードを教えてくれた人の解説である。

 国境の島、与那国の自然や、取り巻く東シナ海は美しく穏やかだ。だがこうした海洋の安寧も、中国の存在感の高まりと、日本の防衛の空白とのはざまで薄氷を踏むようなものとなりつつあると危惧(きぐ)せずにはいられない。(千野境子)

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■自衛隊誘致に対する麻生政権、鳩山政権の姿勢

●麻生政権

「私の訪問が答え」 与那国島への陸自配置で浜田防衛相(同上)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090708/plc0907082257015-n1.htm

浜田靖一防衛相は8日、日本最西端に位置する沖縄県の与那国島を歴代防衛相として初めて訪れ、与那国町の外間(ほかま)守吉(しゆきち)町長と会談した。出席者によると、外間氏は同島への陸上自衛隊の部隊配置を改めて要望。浜田氏は「私が来たことが答えだと理解してほしい」と応じた

 外間氏は、与那国島の西側3分の2が台湾の防空識別圏(ADIZ)に含まれている問題でも改善を要求。浜田氏は「分かりました。国策の中でやらなければならない事業だ」と答えた。

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与那国島に「陸自配置」 国境の守り、意思明示(同上)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090705/plc0907050128000-n1.htm

政府は4日、日本最西端に位置する沖縄県の与那国島(よなぐにじま)に陸上自衛隊の部隊を配置する方針を決めた。年内に策定する次期中期防衛力整備計画(平成22?27年度)に盛り込む。複数の政府・与党関係者が明らかにした。実現すれば、沖縄で本島以外へ陸上部隊を配置するのは初めてとなる。付近を航行する船舶の監視を行うとともに、離島防衛の意思を明確にするのが目的で、軍事力を増強し東シナ海での活動を活発化させる中国に対抗し、南西諸島の防衛力を強化する狙いがある。

(後略)

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●鳩山政権

与那国島の陸自配備に慎重 北沢防衛相(同上)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090925/plc0909251203014-n1.htm

 北沢俊美防衛相は25日の記者会見で、検討を進めていた日本最西端の沖縄県・与那国島など離島への陸上自衛隊の部隊配備について「早急に配備する必要があるのか。いたずらに近隣諸国に懸念を抱かせることはしないで、丁寧にやっていきたい」と慎重な姿勢を示した。

 麻生内閣当時、浜田靖一前防衛相が島しょ防衛や防災の観点から部隊配備検討の考えを表明していた。今年8月の与那国町長選では、陸自部隊誘致推進派の現職町長が再選を果たしている。

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自衛隊による与那国島の防衛は、島民たちが心待ちにしており、前政権も前向きに検討していたにもかかわらず、「東アジア共同体」なるものを形成しようとし、防衛費を削ろうと考えている現政権、民主党は事実上、これを取り止める方向へ動いています。日本よりもはるかに大きな軍事力を抱え、チベットや東トルキスタンという、民族や文化の全く異なる国々を当然のように侵略している中国が目の前にまで迫ってきています。一刻も早く自衛隊を送り、「与那国島は日本国が所有し、守っている」という姿勢を見せなければ、竹島や対馬、そして北方領土などと同じ運命をたどることになります。

こんな小さな端っこの島なんかどうでも良いですか?島民たちは大国の脅威に怯えて暮らしているかもしれません。他人事ではありません、これは私たちの日本の中で起こっていることだと意識しましょう。

あなたの目の前に人民解放軍が現れるころには、もう手遅れなのです。



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国民が知らない中川昭一元財務・金融担当大臣

突然の訃報・中川昭一元財務・金融担当大臣

中川昭一

【中川昭一氏死去】遺族は弔問客に死因は「急性心筋梗塞」と説明(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091005/stt0910050029002-n1.htm

中川昭一元財務・金融相(56)が4日朝、東京都世田谷区の自宅ベッドで死亡しているのが見つかった。警視庁世田谷署によると、目立った外傷はなく、遺書は見つかっていない。ベッドには嘔吐(おうと)の形跡があった。同署は事件の可能性は低いとみて死因などを調べている。

 同署によると、同日朝、妻がベッド上でうつぶせになっている中川氏を発見、119番通報した。すでに死亡しており、病院には搬送されなかった。

 行政解剖したが死因は不明。死後10時間前後が経過していた。家族は「睡眠薬を服用していた」と説明しているといい、室内には病院処方の睡眠薬とみられる錠剤があった。

 弔問客によると、遺族側は死因を「急性心筋梗塞(こうそく)」と説明しているという。

 中川氏は東京生まれ。東大法学部から日本興業銀行を経て昭和58年、急死した父・中川一郎元農水相を継ぎ、30歳で衆院議員に初当選。平成10年に小渕内閣の農水相で初入閣。経済産業相、自民党政調会長を務めた。

 農政通で知られ、戦後レジーム(体制)からの脱却路線の継承をうたう「真・保守政策研究会」会長を歴任するなど、保守派の政治家として知られていた。

 14年の小泉純一郎首相(当時)初訪朝時には、超党派の「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」(拉致議連)会長などとして拉致被害者の救出活動に尽力した。

 昨年の麻生太郎首相(当時)の誕生では中心的役割を果たし、財務・金融相に就任。だが今年2月には、先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)の記者会見に朦朧(もうろう)状態で臨み、辞任に追い込まれ、8月の衆院選で初めて落選。個人事務所の移転と秘書の整理を決めたばかりだった。

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■中川氏を悼む人々

(記事はすべてMSN産経ニュースより)

【中川昭一氏死去】安倍氏「本当、本当に残念」
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091005/stt0910050002000-n1.htm

 中川昭一元財務相の突然の訃報に、政界には衝撃が走った。先の衆院選での自らの落選と自民党惨敗を受けて、再起と保守再生に向けた活動を期待されていただけに、東京・世田谷の自宅に駆け付けた自民党幹部ら弔問客からは「残念でならない」との声が続いた。

 中川氏の盟友だった麻生太郎前首相は4日夕、地元・福岡から急遽(きゆうきよ)帰京。羽田空港で記者団を前に「すごいショックだ。保守の理念を再生するのに最も期待されていた人物だ。自民党にとっても大きいダメージだ」と硬い表情で語った。

 麻生氏はリーマン・ショック後の経済対策での中川氏の功績を称えると、慌ただしく弔問に向かった。

 弔問を終えた安倍晋三元首相は「本当、本当に残念だ。昭一さんを失ったことは大きな損失だ」と辛そうに語った。

 10日前の電話が中川氏の最後の会話だったと話す安倍氏。「元気そうで『保守再生のために安倍ちゃん、がんばろう』と言っていたのだが…」。安倍氏は対面した遺体に「安らかにお眠りください」と語りかけるのがやっとだったという。

 自民党の谷垣禎一(さだかず)総裁は、「こんな知らせを聞くとは思っていなかった。日本の政治にも力を発揮していただかなくてはならない局面が必ずあったはずだ」と早過ぎる死を悼んだ。

 谷津義男元農水相は、10日ほど前に話したときに中川氏が「農政は民主党批判だけではダメ。現場の声を聞きながら勉強しなきゃ」と意気軒昂だったと故人を偲んだ。また、遺体の様子について「以前見た寝顔とまったく同じ表情だった」と安らかな表情だったことを説明した。

拉致問題などで行動をともにした平沼赳夫元経済産業相(無所属)は「衆院選後も将来を語り合った。捲(けん)土(ど)重来を期す、と大変張り切り、新しい、正しい保守の流れを作ろうと意気投合していたのに」と肩を落とした。

 一方、鳩山由紀夫首相は4日、「突然のことで大変驚いた。同じ北海道の国会議員として残念。ご遺族に深くお悔やみを申し上げる。心からのご冥福をお祈りする」とコメントした。

 中川氏の父親、一郎氏の秘書だった新党大地の鈴木宗男代表は、札幌市内で記者団に対し、「一段落したら激励会でもしようと思っていた矢先だった。こういう別れ方をするのなら、話すことがたくさんあった」と涙をみせた。

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【中川昭一氏死去】拉致被害者家族ら「強い力を失った」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/091004/crm0910042121027-n1.htm

拉致議連会長を務めるなど拉致問題に熱心に取り組んできた中川昭一氏。拉致被害者家族らの信頼がとりわけ厚かった。家族らからは「強い力を失った」と落胆の声が漏れた。

 横田めぐみさん=拉致当時(13)=の父、滋さん(76)は、9月中旬に中川氏から選挙落選について「力及ばず申し訳ない」とわびる手紙を受け取っていた。

 直筆で便箋(びんせん)1ページ半。「拉致問題は引き続きやっていきたい。またお目にかかれることを楽しみにしています」と書かれていた。「非常に活動に貢献してくれた。『励ます会』をしようと話していたのですが…」と滋さん。

 増元るみ子さん=拉致当時(24)=の弟で家族会事務局長の増元照明さん(53)は「涙を流す政治家に初めて会った。情の深い方だった」と話す。平成14年10月に拉致議連会長に就任したばかりの中川氏と会食した際、「『議連に何をしてほしいか』と熱心に聞いてくれた姿が印象的だった」と話す。

 中川氏の自宅に招かれた際には、父、一郎さんの位牌(いはい)の前で涙を流しながら拉致問題解決を誓った姿を目にしたという。

 田口八重子さん=拉致当時(22)=の兄で家族会会長の飯塚繁雄さん(71)は「議員として一番早く拉致問題に取り組んでいただいた。強い力を失ったという感じで、非常に悔やまれる」と悼んだ。

 家族会は4日、支援組織「救う会」と運動方針などを決める会議で全国から集まっていたため、冒頭で中川氏に黙とうをささげた。

 ジャーナリストの櫻井よしこさんは「中川氏の原点には『国民を守れずに国家が守れるか』という思いがあった。北朝鮮に妥協せずに圧力をかけたうえでの対話の重要性をきちんと認識していた数少ない政治家だった。拉致問題とのかかわりをひけらかす政治家もいるなかで、忙しくても拉致に関係する大きな会合には必ず出席してくださった」と振り返った。

 元衆院議員、米田建三帝京平成大学教授は、平成13年に金正日氏の長男、正男氏が成田空港で身柄拘束された時のことを思いだす。「中川氏が何人かの政治家を集め『政府の対応がおかしい。拉致解決に向けた交渉の道具にするべきだ』と対策を協議した。彼の拉致への取り組みは信念に基づいていた」と語った。

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【中川昭一氏死去】「おれより先に逝くなよ」遺影に支援者 地元・帯広で
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091005/stt0910051733011-n1.htm

中川昭一元財務相が東京の自宅で死亡しているのが発見されてから一夜明けた5日、北海道帯広市の中川氏の地元事務所前には献花台が設けられ、支援者らが弔問に訪れた。涙を流しながら手を合わせる人や「おれより先に逝くなよ、昭ちゃん」と遺影に語り掛ける男性も。16日には同市内のホテルで「しのぶ会」も行われる。

 中川氏の初出馬以来、応援してきたという同市の会社員、遠藤武一さん(63)は弔問後「中川さんが30、40代のころ、毎年一緒にサッカーをした思い出があり、残念で仕方がない」と振り返った。

 旅行で近くの温泉に来ていて、追悼のため事務所を訪れた道内出身で神奈川県横須賀市の主婦、安部勝江さん(66)は「家族で応援していたから、悲報を聞いてショックだった」と肩を落とした。

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仲良し麻生中川コンビ

【中川昭一氏死去】「大変ショック、自民再建の大事な人材だった」麻生前首相
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091004/stt0910041301004-n1.htm

中川昭一元財務相の死去を受けて、麻生太郎前首相は4日、「自民再建の大事な人材だった。言葉にならないショックだ」とのコメントを発表した。

 この中で麻生前首相は「非常に大きなショックを受けている。自民党の再建に向けて、次の世代を担う大事な人材だった。衆院選の結果を厳粛に受け止めて、再起を期すことを期待していた矢先だった。麻生政権では、財務・金融担当相として、世界の金融危機への対応に卓越した力を発揮して、内閣を支えていただいた。今は、言葉にならない位にショックを受けており、慎んでお悔やみ申し上げます」とした。

 また、自民党伊吹派会長の伊吹文明元財務相は4日、「中川先生は同期当選でもあり、年齢的にもこれからの政治家であっただけに、日本のためにも残念です。詳しいことが分からないので、これ以上のコメントは現時点では差し控えますが、ご家族にお悔やみ申し上げ、心からご冥福をお祈りいたします」とするコメントを発表した。

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■知られざる中川氏の功績

「日本が好きなだけなんだよ」さんより

・中川氏は、農林水産大臣としてポジティブリストを導入し、中国等から無差別に輸入される毒菜に一定の歯止めをかけた

・中川氏は、財務大臣として金融援助をIMFに一本化し、韓国やアイスランドなどから申し込まれた二国間融資は全て断った

(引用者注:IMFを介した援助は絶対に返してもらえる一方、二国間融資は踏み倒される危険がある)

・中川氏は、政調会長として、自民党内の人権擁護法案推進派の意見を断固として撥ね付けていた

・中川氏は、拉致問題に早くから取り組んできた政治家の一人であり、拉致議連の会長もつとめた。

・中川氏は、経済産業大臣の時、親中派の二階俊博が打ち出した「東アジアEPA(経済連携協定)」構想に異議を唱えた。

・中川氏は、毎年靖国神社に参拝することも欠かさない。

・中川氏は、非核三原則の堅持は当然”としながらも日本の核武装の是非について繰り返し“論議すべし”と言及した

(引用者注:これによって震え上がったライス氏が慌てて来日)

・中川氏は、日教組に対し「日教組の一部活動家は(教育基本法改正反対の)デモで騒音をまき散らしている」「(デモという)下品なやり方では生徒たちに先生と呼ばれる資格はない。免許剥奪だ」と、その活動を強く批判している。

・中川氏は、官憲(役人、特に警察関係)による慰安婦募集の強制性を認めた1993年の「河野談話について早期に見直しを検討・すべきだとの考えを示した。

・中川氏は、中国の脅威に対抗するために、インドやオーストラリアとの連携を促進するための議員連盟「価値観外交を推進する議員の会」の旗揚げに貢献した。

・中川の勉強熱心は有名で、官僚にとっては渡した原稿をそのまま読んでくれない、扱いにくい大臣だったとのこと。

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参考:本家「国民が知らない反日の実態」

中川昭一の真実

中川昭一辞任の裏側

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■中川昭一氏へ感謝の気持ちを伝えたい方へ


中川昭一氏へ供花を。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/event/1254633378/

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中川昭一さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

本当にありがとうございました。

貴方のご意志は必ず私たちが引き継いでゆくと約束いたします。


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